400年の歴史をもつ産地から生まれたマルヒロのHASAMIブランド
波佐見の技術と縁がつないだ15年の歩み
こんにちは、I&COです。このニュースレターでは、日本の社会・企業・人のより良い未来への展望を拓くヒントとなるようなコラムや、I&COの最新情報を隔週でお届けしています。
今回は、長崎県波佐見町で400年の歴史を持つ焼き物産地から生まれたブランド「HASAMI」を展開する株式会社マルヒロ代表・馬場匡平さんへのインタビューをお届けします。倒産危機からのV字回復、「友達5人」というターゲット設定、そしてアメリカのフォント会社との出会いをきっかけとした海外展開。その15年の歩みについて、I&CO APAC 代表の高宮がお話を伺いました。
海外展開を成功させている日本企業の取り組みには、文化や商慣習の違いを越えて信頼を築くためのヒントが数多くあります。このニュースレターでは、日本企業の海外展開を支援するI&COの視点も交えながら、海外で確かなブランドを築いている日本企業にお話を伺い、不定期のインタビューシリーズとしてお届けしてまいります。
「友達五人に買ってもらいたい」――HASAMIブランドが生まれるまで
高宮:馬場さんが代表を務める株式会社マルヒロは、400年の歴史を持つ長崎県波佐見町の焼き物産地を拠点に「HASAMI」ブランドを展開されています。馬場さんご自身は、創業家に生まれながら一度は家業を離れ、30代を目前にして地元に戻り会社を立て直されたんですよね。倒産危機という局面からのV字回復を経て、HASAMIというブランドが立ち上がっていった経緯について、教えていただけますか。
馬場:2009年からブランドを作り始め、2010年にHASAMIブランドを出しました。中川政七商店さんにコンサルティングをしていただきながら、当時の我々には大御所の方にデザインをお願いするような資金はなかったので、焼き物のデザインやグラフィックは自分と若い社員の二人三脚でやらなければならない状況でした。
そうした状況の中で、偶像を意識したマーケティングを行うよりも「僕の友達5人に買ってもらうとしたら?」という具体的なターゲットを置く方法を選びました。とにかく彼らに買ってもらいたい、と。でも、友達はみんな焼き物に興味がない(笑)。だからこそ、洋服のセンスがいい奴、音楽のセンスがいい奴――そういう身近な人たちに買ってもらえるブランドにすれば、その年代の人たちが年を取っていくときにも一緒に成長していけるよねと。グローバルがどうこうというより、まずそこが出発点でした。
高宮:手触りが感じられやすいところに照準を合わせて、しっかりその人たちに届く商品を作ろう、というスタートだったんですね。
馬場:そうです。一人いればそこから十人はファンがいるというじゃないですか。だからまずは友人たちに照準を合わせて、そこから世代が近いバイヤーさんだったりアパレルの人たちが取引を開始してくれて。それが初動にかなり助かった部分です。当時は潰れそうな会社だったので、「とにかく当たってくれよ!」という気持ちでした。
高宮:HASAMIというブランド名も印象的です。産地をそのままブランド名にされたのは、どういうお考えで決められたんですか?
馬場:「HASAMIしかない」という中川さんの後押しがありました。「産地を背負っていくなら、絶対この名前で出した方がいい」と。でも私たちは「これでコケたら地元に顔向けできなくなるな」とか、「地元に戻って間もない自分たちがHASAMIという名前を使っていいんだろうか」というためらいがあったんです。
高宮:確かに。波佐見焼はみんなでずっとやっているのに、急に言い出したな、という反応はあるかもしれないですね。
馬場:そうですね。ただ一方で、ずっと波佐見でやってきた人たちに「今まで誰も産地を押し出そうとしてなかったじゃないですか」っていう気持ちもありました。最後は、とにかく中川さんが「三文字のブランド名はとても強い。それが産地の名前というのは骨組みとして最高だ」とおっしゃるので、もう断れなくて、覚悟を決めました(笑)。結果的には、この名前を使っていなかったら、今のような結果にはなっていなかっただろうなと思っています。
産地を世界へつないだハウスインダストリーズとの出会い
高宮:実際に海外を意識し始めたのは、どのようなきっかけだったんですか?
馬場:ブランドを出して一年ちょっとが経った時に、ハウスインダストリーズというアメリカのフォントデザイン会社から連絡をもらいました。アンディさんとステフさんというご夫婦が日本に来た時に、CIBONEというライフスタイルショップで扱われていたうちのマグカップを見てくれて。その夫婦をアテンドしていたのがたまたま知り合いだったので、そのルートで連絡をいただいたんです。その時は「え?コーヒーマグ?アメリカが本場なんじゃないの?」と思いました。
高宮:なぜ馬場さんたちを選んだのか、何か理由を話されていましたか?
馬場:うちのマグカップの形は1960年代のアメリカのダイナーをコンセプトにしているんですが、アンディさんたちも1960年代のアメリカフォント文化をベースにしたデザインをやっていることと、日本の釉薬の色という組み合わせを気に入ってもらえたんじゃないかと思います。
それともう一つ、我々の町はプリントの技術力が高く、かつ量産の町であるというのも相性が良かったと思います。もともと培ってきたその技術を活かして、マグカップにフォントをプリントするコラボが実現しました。
高宮:全てのピースがバチッとはまっているような出会いですね。
馬場:そうですね。アンディさんとステフさん、素敵なご夫婦なんですよ。お声がけいただいた当時、私は二十五、六歳だったので、「これはチャンスだ」という気持ちで飛び込みました。
売上がどうこうというより、「自分たちにもこういうことができるんだ」ということのほうが大きかったですね。技術面では職人さんたちを信頼してお任せしていたので、私としてはもう「ラッキー、来たぜアメリカ!」みたいな気持ちで(笑)。
ちょうどその年、ハウスさんが日本で無印良品やハーマンミラーとコラボを出す年だったので、その流れの中に入れたことも恵まれていたと思います。無印、ハーマンミラーに続くコラボ第三弾のような見え方になった流れで、我々のことを知らない無印のお客さんたちにも興味を持っていただいたりしました。
インスタのDMから始まるコミュニケーション
高宮:その後、積極的に海外展開をリサーチされたり、現地に行かれたりということはありましたか?
馬場:実は、海外の展示会はほとんど出たことがありません。英語を話せない人間が行っても仕方ないというシンプルな理由です。2018年ごろに親しい友人たちとロサンゼルスへ行って営業回りをしたことは一度ありましたし、オランダの展示会には出ましたが、積極的に仕掛けていったわけではないんです。友人たちが紹介してくれるとか、そういう縁が一番大きいですね。マグを起点に知り合った友人たちが紹介してくれたり、それを覚えてくれていた海外の方が連絡してきてくれて取引が始まったりと、そんな形でもう15年くらいやってきています。
高宮:会社の戦略として仕掛けていったというよりも、作ったプロダクトが縁をつないでいってくれた、という感じですね。実際に取引が始まる時のパターンや、取引先のエリアにはどんな傾向がありますか?
馬場:問い合わせのパターンは三つあります。一つは既存の商品を卸してほしいというお店さんやレストラン、ディストリビューターさん。次に「マグカップにこういうプリントを別注できますか」という問い合わせ。そして「ゼロからこういう形の焼き物を作りたい」という依頼です。
エリアで言うと、通常の商品を取り扱ってもらうという意味ではディストリビューターさんを入れているアジア圏、韓国・中国が多いですね。アメリカやヨーロッパは「注文量は多いが一回限り」という傾向もあるんですが、去年、英語が話せる若い営業担当者が入ってくれたので、今年からそういった部分も進めていこうかなと思っています。
営業に関してはその若い方の感覚に任せています。15年やってきた自分が「これとこれをやっておいて」と指示するよりは、「どう動きたい?」と聞いて、それに対していいねと言いながら進める方がいいかなと。実際、インスタのDMが営業ルートになっていて、もうすでに何件か別注品の依頼を決めてきてくれているんですよ。すごいですよね。

高宮:インスタのDMを営業ルートにするというのは、さすがの感覚ですね。僕もマルヒロさんのインスタグラムを拝見していて、すごく良い編集だなと思っていたんです。日本の企業がグローバルに行こうとすると、「和」っぽさを押し出しすぎてしまうか、逆にスタイリッシュにしすぎてよくある感じになるかという傾向があるんですが、マルヒロさんの場合は今の日本らしさを表現しつつ、グローバルな感じで編集されていて。確かにこのインスタグラムを基点に営業すれば、魅力をダイレクトに伝えられるんじゃないかなと思います。
海外とのコミュニケーションを増やしていく中で、日本にはないオーダーも出てきたりしていますか?
馬場:カップアンドソーサーへのニーズは面白いなと思いました。もともと東京オリンピックのタイミングで「純喫茶ブームが来るぞ」と思って、ソーサーを出したんですよ。でも、国内ではなかなか売れなかった。ところがその後、海外の感度が高い人たちからは必ず「カップアンドソーサーでお願いします」という別注をもらうようになったんです。映画会社とのA24とのコラボもそうですね。マグカップだけをドーンと出す文化はアメリカが日本に持ってきたものなのに、向こうの人たちの方がカップアンドソーサーに戻っていった。そこにはちょっと驚きました。
高宮:輸入された時にはソーサーがなくなっているのに、輸出する時はソーサーがついてくる、という。面白いですね。
分業の町から世界へ。価値観でつながるものづくり
高宮:製造工程についてもお聞きしたいです。一つのものを作るのに工程が五つあり、それぞれの工程を別会社が担っているというのが独特ですよね。どの工程をどの会社にお願いするかという組み合わせは、どのように決めているんですか。
馬場:作るものに応じて、各工程が一番得意な人たちでチームを組みます。たとえば型屋さんなら、大量生産のための型を作るのが得意な職人もいれば、量は作れないけれども複雑な形を型に落とし込むのが得意な職人もいる。同じ形の生地を100個作っても、どの窯元に持っていくかで仕上がりが変わってくるんです。絵付けが得意な窯元、不思議な釉薬を焼ける窯元、厳しい品質基準をクリアできる窯元――それぞれ強みが違います。100個のうち30、30、30と割り振ることで、同じ形でも最後の仕上がりが変わる。そうしたことも、私たちの町の強みだと思っています。
高宮:ウェブサイトを拝見した時に、商品によってクレジットされているメーカーが違うのがすごくユニークだなと思っていたんですが、まさにそういうことなんですね。
馬場:そうです。だからこの値段で作れるんですよとか、だからこういうものができるんですよ、という説明にもつなげやすい。「できます」の理由を具体的に伝えられるというのが、海外の方にも伝わりやすいところですね。400年という町の歴史や、一つの焼き物を作るのにこんなに会社をまたいでいるんだというのも、海外の方にはすごく刺さるんです。
高宮:ディストリビューターさんや海外のパートナーを選ぶ時に、大切にされていることはありますか?
馬場:最初はなかなか見極めが難しいんですよね。だから、やり取りを重ねる中で互いに尊重し合えるかどうかが最低条件になります。「たくさん買うから価格を下げてください」というスタンスの相手とは組めません。逆に「こんなものを作っているんだ」と目を輝かせてくれる人たちとは、積極的に一緒に取り組むようにしています。
特にアーティストの方とコラボレーションする場合は、一度、波佐見の町に来てもらうんです。職人たちが実際に作っている現場を見てもらい、「機械のように納期を守るのは難しいということも、この現場を見れば分かりますよね」と共有する。それでも「やりたい」と言ってくれる人と一緒に進めます。結局、価値観が合う相手と組む方がいい。それが、15年やってきてたどり着いた一つの答えです。
高宮: 最後に、海外展開を目指している企業へのメッセージをお願いします。
馬場: 私たちもまだ道半ばなので、正直なところ、むしろ教えてほしいという気持ちの方が強いです(笑)。一つだけ言えるとすれば、「好き嫌いははっきりさせて物事を決めてきた」ということ。それから、できないことに背伸びをしないという姿勢です。英語が話せない状態で行っても意味がないと考え、展示会にもあまり積極的に出ていなかったのも、その表れです。
ただ、今年から英語ができる社員が入ってくれたので、これまで準備してきた段階から次にどう動いていくかというフェーズに入ったと思っています。若い方の感性を信じて任せながら、一緒に進めていきたいですね。
対談を振り返って:「好き嫌いをはっきりさせる」が、世界への道をひらいた
友達五人という小さな照準から始まり、15年かけてアジア・欧米・アメリカへと広がったマルヒロとHASAMIの歩みからは、次の3つの学びが見えてくる。
「この人たちに届けたい」と信じるものをつくり続ける
「センスの良い友達五人」という具体的な人物像を起点にブランドを立ち上げたことが、結果として世界中の感度の高い消費者に届く普遍性につながっていった。マス市場を狙うのではなく、自分が「こういう人たちに届けたい」と思えるものを誠実につくり続ける。その姿勢が、文化や言語の違いを越えてブランドへの共感を育ててきた。強みを磨き、縁が広がる文脈を整える
積極的な海外展開の戦略を描くことより、波佐見の分業体制が生む技術力やプロダクトの価値を磨くことに力を注いできた。その結果、プロダクトそのものが縁を引き寄せ、気がつけばグローバルなネットワークへとつながっていった。できないことに背伸びをせず、できることにフォーカスする
英語対応が難しい時期に大型展示会への出展を控えていたことや、英語ができる担当者が入るまで本格的な海外営業を急がなかったことは、一見すると慎重に見えるかもしれない。しかしそれは、無理に背伸びをせず、体制が整ってから動くという取捨選択でもある。「好き嫌いをはっきりさせて物事を決める」というスタンスはパートナー選びにも通じており、価値観の合う相手と関係を築いてきた。
これらの実践から見えてくるのは、「届けようとする前に、届く理由をつくる」というマルヒロの姿勢だ。プロダクトと産地への誠実な向き合い方が、少しずつ世界との縁を広げてきた。15年という時間の中で育まれてきたのは、そうした信頼の地層なのかもしれない。
(高宮 範有)









