「縁の設計」で切り拓いたグローバル展開
有田焼を世界に広げた接点づくりの実践
こんにちは、I&COです。このニュースレターでは、ブランドの視点でこれからの経営を考えるヒントとなるようなコラムや、I&COの最新情報を隔週でお届けしています。
今回は、佐賀県有田に拠点を置き、有田焼の企画・プロデュース・販売を手がける株式会社キハラ代表取締役の松本幸治さんに、I&CO APAC 代表の高宮範有がお話を伺いました。2000年のドイツ展示会での挑戦からシンガポール・パリへの展開、そして国内外で問い合わせが自然と集まる現在地まで、グローバル展開の実践知をお届けします。
海外展開を成功させている日本企業の取り組みには、文化や商慣習の違いを越えて信頼を築くためのヒントが数多くあります。このニュースレターでは、日本企業の海外展開を支援するI&COの視点も交えながら、海外で確かなブランドを築いている日本企業にお話を伺い、不定期のインタビューシリーズとしてお届けしてまいります。
産地に根付く”海外志向”のDNA
高宮:まず、御社が海外展開を意識するようになった背景からお聞かせいただけますか。
松本:実は有田は、歴史的にも海外志向の強い産地なんです。1600年代後半に大量輸出した歴史があり、幕末から明治初期には万博に佐賀藩が有田焼を出品したという経緯もあります。その歴史は地域の子どもたちへの教育として今も伝えられていて、活躍した人物の先祖が自分の家だったりする人も珍しくありません。だから、有田には海外志向が自然と根づいている。会話の中で海外の話は当たり前に出てきますし、若い世代が自分もやりたいと思うのは自然な流れだと思います。
高宮:有田焼を「輸出するもの」と捉える文化的な下地がもともとあった、ということですね。キハラとして最初に具体的な海外展開に動いたのはいつ頃のことでしょうか?
松本:2000年から2002年にかけて、焼き物関係の仲間10社ほどでグループを組んで輸出の会社を立ち上げ、ドイツで開催されるアンビエンテとテンデンスいう消費材の国際見本市に2年間で計4回出展しました。当時は有田焼らしい絢爛豪華なラインナップで挑んだのですが、見本市に来るバイヤーにはそれが刺さらず苦戦しましたね。出展期間中はそれなりに注文があるものの、出店が終わると注文も止まってしまう。約2年でグループは解散し、キハラがその業務を受け継いで、細々と続けていく形になりました。
高宮:その後キハラとして単独で動いていく中で、何か方向性を変えたことはありましたか?
松本:ターゲットを変えました。キハラはもともとアッパー向けではなく、デイリーユースで使えるプロダクトが主体です。そこで「有田HOUEN」というシリーズを立ち上げ、プロダクトデザイナー4名とグラフィック・アーティスト4名の計8名にコラボをお願いして、120~130種類のアイテムを一気に作りました。有田焼の「造形の美」と「加飾の美」の両方のアプローチで勝負しようという考え方です。
高宮:有田焼の強みである造形と絵付けをそれぞれ別の専門家に担ってもらうことで、より幅広い表現を目指したということですね。
松本:はい。大御所のデザイナーに依頼したこともあり、国内では「デザインプロダクトを手がける有田焼の会社」として、業界内で認知されるようになってきました。
その後、2007年頃からは、全国の伝産品を集めてPRするプロジェクトなどを通じて国際展示会への共同出展の声がかかるようになります。他のメーカーと一緒に出展する中で、一つの気づきがありました。焼き物は世界中に存在するので驚かれにくいんですが、和紙のような素材には、バイヤーが「何だこれは?」と強く関心を示すんです。素材やテクニックを見せることで、相手側からニーズに応じた問い合わせが来るのではないか ― そうした仮説を持ち始めました。
高宮:プロダクトを「売りに行く」のではなく、できることを見せてインスピレーションを与える。そうすることで向こうから問い合わせが来るかもしれない、という発想の転換ですね。
松本:そうですね。ただ当時はまだその仮説を形にできておらず、ずっとモヤモヤしていました。プロダクトには自信があったし、ちゃんと伝われば売れると思っていましたが、とにかくバイヤーやディストリビューターに認めてもらわないことには流通できない。ネットもSNSも今ほど普及していなくて、接点が限られることへの限界を感じていました。
シンガポールからパリへ。「縁」を起点にした展開
高宮:風向きが変わったのはシンガポールでの体験だったとお聞きしています。
松本:2012年のことです。以前からオンラインショップのバイヤーとして付き合いのあった方が独立して、シンガポールのショッピングモールでポップアップ販売会を開きたいと声をかけてくれました。その時に出会ったのが、現地の雑貨店「Supermama」のオーナー、エドウィンさんです。持っていった商品を全部預けて「売れた分だけもらえればいい」と委託販売をお願いしました。
高宮:そこから一気に動き始めたんですね。
松本:はい。古典柄をグラフィカルにアレンジした器を見たエドウィンさんから、「自分たちのデザインでプロダクトを作りたい」というリクエストをもらい、機会を逃したくないと思って一気に製作しました。そのコラボ作品が翌2013年のPresident’s Design Award(シンガポールのデザイン賞)を受賞して、それ以来、エドウィンさんとの仕事はずっと続いています。デザインは向こうにお任せして、こちらは作る。そのやり方で、お互いにインスピレーションを投げ合いながらプロダクトを増やしてきました。
高宮:シンガポールの体験が、次の展開にも応用できるモデルになったと。在庫リスクを取りながら現地パートナーに委ねることで、消費者との接点を作っていく、ということですね。
松本:そうですね。シンガポールで実績を作ったことで、その情報を見たフランス人からコンタクトが来たりと、実績が次の縁を呼んでくる状態に入り始めた感覚がありました。
高宮:その後、パリにリアル店舗を展開されています。これはどのような経緯だったのですか?
松本:有田焼400周年を迎える2016年に向けて、佐賀県の事業として2014年からパリのメゾン・エ・オブジェに3回出展しました。その頃にはスマートフォンやSNSも普及していて、バイヤーが事前にこちらのことを調べて来場してくれるようになり、ビジネス的な手応えもそれまでとはまったく違ってきていましたね。その出展をきっかけにフランスの若者から問い合わせがあり、まずは展示会の手伝いから関わってもらうことになりました。
そうした流れの中で、若い人たちを起点に何かできないかと考え、デザインコンペを企画しました。コンペを告知すると世界中から200名を超える応募が集まり、その中から10名に絞ってメゾン・エ・オブジェの会場で面接を行い、最終的に1名を有田に招いてワークショップを実施しました。実際に有田に来られるのは1名ですが、面接の段階で10名全員と直接関係が生まれます。選ばれなかった人とも、その後に別の形でものづくりにつながることがあり、結果としてネットワークが広がっていくんです。
高宮:コンペ自体が関係性を広げる仕組みになっていたんですね。有田に来る1名だけでなく、面接した全員とのつながりを資産として捉える発想が興味深いです。
松本:そうですね。コンペで毎年1名を有田に招くこの取り組みはしばらく続けていましたが、選ばれた人が必ずしもビジネス上の相性まで含めて良いとは限らない、という学びもありました。そこで今は、フランスで築いてきたネットワークを通じて、より確度の高い相手にピンポイントで声をかける形に変えています。
従来型の展示会の限界と、新たな可能性
高宮:現在は、大きな展示会への出展はあまり積極的にはされていないとのことですね。
松本:はい。シンガポールもパリも、店舗やSNSの情報を見て直接問い合わせが来る状態になっていて、展示会に出ていた頃より問い合わせは増えています。以前のようなBtoB展示会の役割は、少しずつ変わってきているのではないでしょうか。ただ、企業の取り組みを発信し、一般の方も集まるようなBtoCの場には、今でもビジネスのチャンスがあると感じています。
高宮:業者同士のマッチングよりも、一般の方も含めた間口の広い場のほうがビジネスの可能性が広がっているということでしょうか。具体的に最近、手応えを感じたイベントはありますか?
松本:日本のスペシャルティコーヒーの展示会「SCAJ」は熱気がありました。一般のコーヒーファンも来場しますし、世界中から出展者も集まります。そこでコーヒーカップを販売すると、非常によく売れるんです。その様子を見ている海外の出展者、たとえばコーヒーロースターの方々も「自分たちのオリジナルカップを作りたい」と声をかけてくれたりして、消費者の反応そのものがプレゼンテーションになっている感覚ですね。先ほど触れた「バイヤーに認めてもらわないと流通に乗らない」という難しさも、かなり薄れてきていると感じます。
高宮:松本さんご自身もおっしゃっていた通り、焼き物は世界中にある中で、有田焼が海外で支持される理由はどこにあるとお考えですか?
松本:圧倒的な技術力と原料の質です。熊本・天草の石から作る磁土は純度が非常に高く、焼き上がりの白さが際立っています。この石はアジアの限られた地域にしかなく、他国のメーカーは各地から輸入して混ぜ合わせながら使っているのが実情です。そこに、400年かけて蓄積されてきた製造技術のノウハウが重なっています。有田には、人間国宝のような作家から産業向けの量産品を手がけるメーカーまで、さまざまな層の作り手が集まっていて、原材料や技術を互いに共有しながら発展してきました。こうした産地としての集積は、一朝一夕で他の地域に再現できるものではなく、非常に希少な強みだと思います。
高宮:最後に、海外展開を目指す企業へ向けたメッセージをいただけますか。
松本:とにかく、自分たちの強みを明確にすることが大事だと思います。長く続いてきたことが強みなのか、原材料なのか、技術なのか、応用力なのか。海外に出て「何ができるんですか」と聞かれたとき、即答できるような強み。それを認識して、磨いて、そこで勝負する。それが成功への一番の近道ではないでしょうか。
対談を振り返って
海外展開を始めてしばらくは苦戦が続いたが、新たなアプローチでシンガポール・パリへと着実に販路を広げてきたキハラ。その歩みを辿ってみると、次の3つの学びが見えてくる。
「できること」を即答できる状態をつくる
原材料、技術、応用力――自社の強みを自分たちで把握していることが、現地のパートナーとの対話を成立させる前提になる。キハラの場合、有田焼の産地が持つ技術の幅広さと原料の優位性を深く理解していたからこそ、エドウィンさんやフランスの若者との協働が動き出した。
仕組みとしての「縁」を設計する
松本さんは縁の重要性を強調する。しかしそれは「偶然の出会い」を意味するのではない。展示会への継続的な出展、委託販売というリスクを取った判断、デザインコンペで生まれた10人のネットワークと、一つひとつの行動の積み重ねによって手繰り寄せてきたものだ。実績をつくり、それを発信し続けることで、次の縁を引き寄せる循環が生まれていった。
消費者の熱狂で業界関係者を動かす
展示会でバイヤーに認められなければ流通できなかった時代へのモヤモヤが、SCAJでコーヒーカップが飛ぶように売れる光景によって解消された、と松本さんは語る。消費者が熱狂する様子を横で見ているバイヤーや出展者が、自然と声をかけてくる。「売り込む」のではなく「熱狂が見える場所に出ていく」ことで、ビジネスの入口が広がっていった。
強みを言葉にし、リスクを取って実績をつくり、消費者が反応する場に立つ。その積み重ねが、バイヤー交渉でも展示会出展でもなく、「向こうから声がかかる」という状態を引き寄せた。グローバル展開の入口を探している企業にとって、この順序は参考になるはずだ。
(高宮 範有)










