パーパスの先へ。ブランド論の新しい視点
これからの時代、企業は何を拠りどころに成長していくのか
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今回のコラムは、ニューヨークを拠点に活動するレイ・イナモトによる「パーパスの先へ。ブランド論の新しい視点」です。
パーパス経営の限界に関する議論はすでに一巡していますが、重要なのは、その成否を評価することではありません。パーパスが本来果たそうとしていた役割は何だったのか。そしてこれからの時代、企業は何を拠りどころに成長していくのか。その前提を更新することにあります。
企業や個人を取り巻く環境、そして情報流通の構造が大きく変化するなかで、ブランドの築き方もまた新たな局面へと移行しています。本稿では、企業の成長に不可欠となる「信頼による差別化」という視点を提示します。
このコラムは、レイ・イナモトの「Why Brand Purpose Lost Its Plot—and How To Fix It」をベースに翻訳・編集したものです。

パーパスをとりまく”誤読”が起きた理由
2009年、サイモン・シネックのTEDxトーク「Start With Why」が公開された。のちに10年以上続く「パーパスブーム」の起点となった出来事だ。
その後、2010年前後から「パーパスドリブン・ブランディング」という考え方が急速に広がる。マーケティング業界ではパーパスを掲げるブランドが称賛され、アワードでもこうした動きを評価する流れが加速した。パーパスは、語るべき理念であると同時に、ある種の競争軸にもなっていった。
この広がりを支えたのが、シネックの提示した「Why, How, What」という構造の明快さだ。彼が「ゴールデン・サークル」と名づけたフレームワークは、「Whyから始めよ」という思想を誰もが共有できる形に視覚化した。シネックの成功は、思想の強さだけでなく、それを拡散可能なフォーマットに変換した点にあったといえる。
このフレームワーク自体は、いまも一定の価値を持っている。とりわけ組織づくりや人材育成の文脈では、「自分たちはなぜこの仕事をしているのか」という方向性と動機を共有する装置として機能する。本来その本質は、ブランド論というよりも、リーダーシップ論にあったのだ。
実際、シネックのトークの正式なタイトルは「How Great Leaders Inspire Action(優れたリーダーはいかにして行動を促すか)」である。
では、なぜそれがブランド論として語られるようになったのか。
広告業界出身のシネックは、アイデアを広める技術に長けていた。TED.comとYouTubeで合計1億回以上再生されたこのトークは、リーダーシップ論を再現可能なフレームワークへと変換し、ビジネスの文脈に乗せた。政治学者ダニエル・ドレズナーは著書『The Ideas Industry』で、シネックを「たった一つのアイデアで名声を得たプロフェッショナルな思想的リーダー」と評している。
シネックがAppleを例に挙げたことも、その広がりを後押ししたといえるだろう。マーケティングやブランディングの文脈で繰り返し語られてきたAppleの持つ象徴性は強く、このフレームワークを「顧客を惹きつけるための手法」として印象付けた。
こうしてリーダーシップの枠組みは、次第にマーケティングの枠組みとして流通するようになる。問いの向きが内から外へと反転したこと——それが、パーパスブームをめぐる根本的なずれだった。
「企業の論理」への揺り戻し
2020年頃になると、パーパス主導のアプローチは「広告業界が生んだ最大の嘘」「世界を変えるという、ブランドのまやかし」とまで批判されるようになった。
振り返れば、これは驚くべきことではない。パーパスを言葉として掲げるだけで、実際の意思決定や経営判断がそれと一致していなければ、いずれ信頼を失う。限界が露呈するのは時間の問題だった。
問題は、その反動が行き過ぎていることだ。
「パーパス経営の限界」が囁かれ始めた2023年頃から、多くの企業はパーパスを前面に出すこと自体を控えるようになっていった。短期的な業績や株主への説明責任を優先し、社会的な取り組みに関する発信の優先度下げる動きも見られた。世界最大の雇用主であるウォルマートをはじめ、大企業がパーパス主導の施策を縮小したのはその象徴的な例だ。その根底にあったのは、成長と収益を最優先する企業の論理だった。
だとすれば、ブランドはどこへ向かうべきか。パーパスを完全に捨て、利益だけを追求する姿勢へ戻ることが答えなのか?——もちろんそれは単純化しすぎた二項対立である。
パーパスという概念そのものが誤りだったわけではない。すでに多くの企業が気付いているように、問題は、それが意思決定や行動に落とし込まれていなかったことにある。
これからの時代に問われるのは、掲げた理念を日々の選択や判断にどう一貫して反映させるかという点にある。ただしそれは、短期的な浸透施策の話ではない。理念は発信によって広がるのではなく、意思決定や行動の一貫性を通じて、自然と外部ににじみ出ていく。その積み重ねが信頼を生み、結果としてブランドの強さを形づくっていく。
「誰かのために」という言葉が本物であるとき
「私たちのビジョンは、世界一になることではありません」
トヨタ自動車会長の豊田章男氏は、ある打ち合わせの場でそう語った。14年間にわたり同社の社長を務め、その間にトヨタを世界最大の自動車メーカーへと導いた人物からこの言葉が発せられたことは、率直に言って意外だった。
続けて豊田氏はこう述べた。
「私たちのビジョンは、街で一番になることです」
豊田氏が社長に就任したのは2009年。その直後、トヨタは世界で850万台を超える大規模リコールに直面する。アメリカ議会の公聴会で豊田氏は「人材と組織が育つスピードを超えて、北米での拡大を追い求めてしまった」と述べ、深く頭を下げた。トヨタの近代史における最大の危機だった。
それ以来、豊田氏は安全と品質を最優先する姿勢を明確にし、世界中の社員に向けて三つの信条を掲げている。
「もっといいクルマをつくろう」
「世界一ではなく、町いちばんを目指そう」
「自分以外の誰かのために仕事をしよう」
注目すべきは、これらが社外に向けたパーパス・ステートメントではないという点だ。社員に向けて、日々の仕事の姿勢を問い続ける言葉である。顧客や社会に向けて「私たちはこういう会社です」と宣言するためのものではなく、社内の一人ひとりが何を大切にして働くのかを確認し続けるための指針として、長年にわたり積み重ねられてきた。
その一貫した姿勢が、結果としてトヨタへの信頼を国境を越えて根付かせている。理念を掲げることよりも、それを日々の行動に反映させ続けること。そこに「信頼による差別化」の源泉がある。
先述のとおり、ここ数年、ビジネスを牽引する多くのリーダーの関心は、成長や株主価値の最大化へと再び重心を移しつつある。それ自体は企業経営にとって不可欠な要素であり、否定されるべきものではない。だからこそ、「誰かのために」を言葉ではなく行動で示し続けるリーダーや企業の存在は、私たちにもう一つの基準を示してくれる。
パーパスを掲げるだけでは十分ではないということは、もはや誰もが知っている。
これから問われるのは、CEOをはじめとするリーダーの姿勢が、企業としての一貫性に結びついているかどうかだ。その一貫性が「信頼による差別化」を実現し、持続的な成長を支える。「信頼による差別化」は、これからのブランド論を考えるうえでの出発点である。本稿で提示したこの視点を、今後様々な形で掘り下げていきたい。




