透明性の時代に問われる、真のブランド価値
創業の哲学が導いた、アシックスのV字回復
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今回は、ニューヨークに拠点を置くレイ・イナモトと、アシックスの常務執行役員 甲田知子さんの対談をお届けします。日本発のグローバルブランドは、いかにして世界中の顧客と新たな関係を築いたのか?ぜひご一読ください。
この記事は、レイ・イナモトのPodcast番組「世界のクリエイティブ思考 #101(前編)」の内容をベースに編集したものです。

走りの個性に寄り添う。 ”二つの最適解” で開いた活路
レイ:近年アシックスの業績が右肩上がりである背景について、2017〜2018年頃の状況から、当時どのような課題があり、それをどう乗り越えてこられたのか、教えていただけますか。
甲田:私が2016年に入社した当時は、アシックスといえばハイパフォーマンスシューズやランニングが強みでした。ちょうど「コアなアスリート」から「エブリデイ・アスリート」へと提供範囲を広げていく転換期で、2017年頃からはライフスタイルやスポーツインスパイアという方向性を打ち出しながら新しい企画商品も投入していたものの、なかなかうまくいかない状況が続いていました。
その後2018年にリーダーシップの交代があり、新しい経営方針と改革がスタートしました。コロナの影響で一時的に停滞を余儀なくされましたが、2021年から回復基調に転じ、現在は急速な成長段階にあります。
レイ:成長に転じるきっかけとなった「METASPEED」というランニングシューズについてお聞きしたいと思います。走り方のパターンによって2種類のシューズを提供していることが特徴かと思いますが、アシックス内部から見た成功の理由は何だったのでしょうか?
甲田:もともとアシックスの製品開発はデータによる裏付けを重視する傾向が強かったのですが、「METASPEED」の開発では、選手の声を積極的に取り入れる方向に大きく舵を切ったんです。具体的には、歩幅の広い選手に適した「METASPEED SKY」と、ピッチ走法の選手に適した「METASPEED EDGE」という、2種類のシューズを開発しました。競合ブランドが一足で勝負する中で、二つの走行スタイルに応じて提案をしたのは新しいアプローチだったと思います。
甲田:この開発の直接のきっかけになったのは、箱根駅伝でアシックスの製品を着用する選手がゼロになる、という創業以来の衝撃的な出来事でした。ただ、その時点で新商品の準備は整っており、選手に履いてもらえれば必ず支持は得られるという自信はありました。
レイ:社長直下の「Cプロジェクト」としてチームを作り、アスリートと直接フィードバックを取り合いながら進めたと伺っています。その取り組みについて、もう少し詳しく教えていただけますか?
甲田:はい。現在は「ASICS CHOJO CAMP」という形で、アフリカに2箇所、ヨーロッパと北米に各1箇所のキャンプを設置しています。特にアフリカは今、マラソンなどで世界をリードする選手を多く輩出しているので、現地でそういった選手たちと密接にコミュニケーションを取りながらものづくりを進めています。

挑戦の道のりと共にあるブランド
レイ:ユーザーの声をどの程度製品開発に反映させるかという判断は、どの企業にとっても難しい部分だと思います。古い例えになりますが、ヘンリー・フォードが「もっと速い馬が欲しい」という顧客の声に対して、全く新しい解決策として自動車を提示したのは有名なエピソードです。アシックスではその判断をどのようにされているのでしょうか?
甲田:1秒でも速く走りたいというのは、アスリートにとって最も重要な願いであり、私たちとしても必ず実現すべきことだと考えています。ただ、選手が明確に口にせずとも潜在的なニーズとして確実にもっているのが「怪我をしたくない」という思いです。走っている時の選手が「一秒でも・・・」と記録を追い求めるのは当然のことですが、安心安全な走りをしてもらって選手生命を長くするという視点も、私たちにとって絶対に省くことのできないものづくりの指針です。
実際、マラソン選手やテニス選手の活躍期間は伸びています。この変化も、適切なサポートがあってこそ実現できることですから、速く走ることへのこだわりと安全性の両立は、ブランドとしてすごくこだわっていますね。
レイ:専門的なアスリート向けの開発成果を、一般のお客様に向けてどのように展開されているのでしょうか?
甲田:私たちは、パーソナルベストという考え方を軸としています。世界記録を目指すトップアスリートから一般ランナーまで、それぞれのパーソナルベストがあり、勝っても負けてもその過程を大切にするという一貫したメッセージです。
その中で、一人ひとりに「あなたはどういうスタイルですか? 」と問いかけるようなコミュニケーションを意識しています。具体的には「シューファインダー」などのデジタルツールで個人の走り方や目的に合ったシューズを提案するといった取り組みです。特にオンラインでの購入が増えている現在、こうしたデジタルサポートの重要性は高まっています。
レイ:「勝っても負けても」という点で印象的だったのが、東京オリンピックの際のアプローチですね。アシックスはJOCのゴールドパートナーでしたが、大会では、日本選手の厳しい局面もありました。
甲田:はい。ただ、そういう時こそ選手がここまで来た道のりをきちんと評価し、セレブレーションすることが大切だと考えていました。SNSでの発信を見ても、実は困難にあった時の姿を発信する方が、フォロワーのエンゲージメントが高いんです。これは決して商業的な話ではなく、私たちと世の中の方々の、純粋に選手を応援したいという気持ちが重なった表れだと思っています。
創業哲学が導く、ぶれない組織への進化
甲田:勝つことだけにスポットを当てるのではなく、スポーツをやることの喜びを伝えるような姿勢は、まさに私たちの創業哲学である「健全な身体に健全な精神があれかし(Sound Mind, Sound Body)」という言葉にも通じます。ASICSの社名は、この言葉を表すラテン語の「Anima Sana In Corpore Sano」の頭文字から来ているんですよ。この「健全な身体に健全な精神があれかし(Sound Mind, Sound Body)」をブランドスローガンとして再設定したのは2021年で、実はけっこう最近のことなのです。現在の「カテゴリー経営」への変革により、価格の作り方やチャネル戦略なども一気に変わったことも相まって、目指す姿が明確になったことで会社全体が大きく変わりました。
レイ:目指す姿や顧客像を明確にし、カテゴリーを軸として事業を展開していくことが、ここ数年の成長につながっているんですね。一方で、組織体制の面では、カテゴリーごとに分かれてしまう難しさのようなものはありませんでしたか?
甲田:組織としてはカテゴリー × ファンクションのマトリックスとなり、確かにとても難しいのですが、各部門のアカウンタビリティを明確にすることでうまく機能しています。それをきちんと回していく強いリーダーシップもありましたし、ガバナンスもありました。また、アシックス・デザイン・フィロソフィーという製品設計の指針も明確になり、とにかくブレない体制が整ってきたなと感じています。
レイ:最後に、アシックスという日本発のグローバルブランドが2035年や2040年に向かっていく中で、甲田さんご自身はどのようなビジョンをもっていますか?
甲田:多くの企業がそうだと思うのですが、やはり、経済的な成功と社会課題の解決の両方を追求していきたいと考えています。「将来世代までスポーツができる地球環境を守る」といった目標に向かっていたり、多様でインクルーシブなスポーツ環境の実現に注力していたりする中でも、「Lifetime Athletes in All of Us(誰もが一生涯アスリート)」という言葉はすごく大きな意味をもっていて、これからも変わらない私たちの軸になると思います。今後に向けては、より具体的な目標設定が必要ですね。
レイ:これまでの4、5年の取り組みをさらに深化させ、具体化していくということですね。本日はありがとうございました。
対談を振り返って:
アシックスの革新から学ぶ三つのポイント(レイ・イナモト)
アシックスのアプローチからは、以下の三つを学ぶことができた。
1. 最適解は一つとは限らない
箱根駅伝での着用ゼロという危機に直面したアシックスは、従来の「一つの最適解」という発想を覆した。「歩幅」と「足の回転」という二つの走り方に着目し、それぞれに最適化したシューズを開発。この二分化戦略が、むしろ強みとなった。
2. 「データ」と「ゆずれない想い」の掛け算
神戸市にあるアシックスの研究開発拠点「The ASICS Institute of Sport Science」では日々、様々な分野の研究者たちが走り方や素材の研究している。アシックスは、科学的アプローチによる緻密な研究開発を行う一方で、アスリートの声にも真摯に耳を傾けた。データと現場の声という、二つの異なる視点を組み合わせることで、より深い価値を生み出すことに成功している。
3. 社内の意識の統一が、ブランドの真価を生む
「Lifetime Athletes in All of Us(誰もが一生涯アスリート)」という言葉は、アシックス社内の密接な対話から生まれた。この考えは、社外に向けて発信するためのものではなく、社員の心を一つにするためのものとして機能している。透明性が求められる現代において、社内の統一された意識こそが、ブランドの強さを形成する重要な要素となる。







